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執筆者の写真Hiroyuki Notoh

「なんとなく症候群」の続き 前向きな根性について

 さて、いきなりですが、かれこれ40年以上、私は同じ美容室に通い、同じ美容師さんにお世話になっています。小学生の頃からですので、その方は、私の生涯のほとんどをご存じということになります。

 ついでに言いますと、私は幼少期から短髪は好まず、長めを愛しています。結構なくせ毛なので、梅雨時は、どうやっても、寝乱れた「サリーちゃんパパ(もうご存じの方は少ないでしょう)」状態に陥ります。こどもの頃は、一生懸命、くるくるドライヤーでまっすぐに伸ばしてましたが、やはり、だめで、ストレートパーマもやってみましたが、長持ちせず、でしたので、今は大きめのロッドでパーマをかけて、髪の長さも調整して、落ち着くようにしています。また、毛染めも好きなので、あれこれしています。


 いや、それで、その美容師さん、とても気丈夫で身体も頑丈な方です。

 数か月前、昨今の十代のプチ整形について、ふたり眉をひそめて話をしておりましたら、無料ですぐに二重まぶたになる方法がある、と、力説が始まりました。

 方法は簡単だと。

 高熱があっても頑張って仕事をする、休まない、すると、仕事をやり遂げた後は、二重になり、それが生涯に渡って続く、という、実証済みの豪語でした。

 確かに、ご家族に聞くと、もとは一重だったとのことでした。

 誰もまねしない方がいいと思います。


 その方が、数か月前、利き手側の腕を骨折されました。「目をつぶってもカットできる」と自称し、仕事が生きがいの方なので、復帰できるか、意気消沈で、気の毒でした。


 手術の後、リハビリテーションを受けて、医師やセラピストから、回復に時間がかかる、と説明を受けたとのことでした。


 それで、退院後、何度かお見舞いに寄せてもらいました。術後ひと月ほどして訪ねると、お店にはお客さんがいらして、本人、もうハサミを握ってました。

 まだ思うように腕が動かないけど、指は大丈夫だから、ハサミの持ち方をいろいろと工夫している、とのことで、いきいきとした二重まぶたの顔でした。私も安堵しました。


 まあ、ほんと、根性のひとだ、と、つくづく思います。

 ほんの数か月しましたら、カットはもちろん、ロッドを巻き、シャンプーでしゃかしゃか腕を動かし、毛染めして、ドライヤーを持ち上げ、私の髪を整えてくださいました。


 この方をみていると、人間、なんでも、前向きな根性が大事だとつくづく思います。


 前向きな根性というのは、現状維持とか、無理しない、ではないんだな、と思います。

いくつになっても、「よし、やってみよう」「なら、どうしたらいいか」、問題解決の力を自分に育むこと、これが前向きな根性だと思います。そして、この力が、自分の身についてくると、それをひとに与えることができるようになるんだと思います。


 んで、その美容師さんですが、多趣味なんです。

 早くからバイクも乗ってて知識も豊富、プラモデルや鉄道模型の蒸気機関車も、キットを組み立てるのではなく、実物の実寸図から縮尺して、パーツから作るようなひとで、テレビゲームも攻略をいろいろと考えてされますし、美容室内には、熱帯魚に、自身で捕獲した、クラゲを飼い、私がギターを弾くきっかけを作ってくれもしました。

 なので、美容もいろいろと考えて、パーマのあて方など工夫がすごいんですね。なので、やりたいことがたくさんあって、仕事もしたくてしたくてどうしようもない、それで、指が動くなら、どう腕を代償しながら仕事をするか、そういうことを考えて考えてカットをするのが楽しいようです。


 私はひとりっこですし、そう友人もいるわけではない人生を過ごしてきてますが、でも、それなりに尊敬というか、学びをいただいた方もいらっしゃらないわけではありませんが、私が最も影響を受けたのは、この方だけ、と言い切れます。

 なので、知らない間に、ものの言い方、身振り、もっと深く、物事の考え方は、ほんと、この方にそっくりなところがある、と、思うときがあります。

 んだから、私も、前向きな根性を授かった、と思います。


 これは、私の自信です。


 さて、この方とは異なりますが、中学生の頃に出会った先生のことを思い出しました。

数学の先生でしたが、国立の経済学部を出て、一旦、企業に入ったけれども、自分が強いと思っていた麻雀で、会社の先輩らにコテンパンにやられる、これでは自分は会社人間としてだめだ、と思った、それで教師になった、と言ってました。

 ほんとかどうか今となっては知りようがありません。


 その先生が、私に教えてくれたことがあります。

 ①プラモデルを作る、②新聞を読む、③数学の証明問題を解く、お前は、これを続けろ、とのことでした。

 当時、この先生は好きだったので、言われる通りにしました。


 こんな自分の思い出を、保育の場のこどもに照らしあわせたいと思います。

 そうすると、こんな感じですかね。

 ①先生が好き、②作るのが好き、③世界があることに興味をもっている、④物事の筋道がわかると面白いと思う、⑤やりたいことがいっぱいある、⑥世の中には、面白そうな仕事があるのがわかる、となりましょうか。

 それで、この①から⑥について、学校に行く前に経験できて、習慣に組み入れられると、「なんとなく症候群」にならないのかもしれないな、と思います。


 では、「なんとなく症候群」を回避できるようになる保育は、次のようなものかとも。

 ①保育者は、自分が楽しくあそぶところをこどもに見てもらう、②こどもが、保育者と、一緒にあそびたいと思えるようにはたらきかける、②あやとり、けん玉、積み木、それから描画、工作、など、手先を使って、形をイメージしながら行うあそびを保育に取り入れる、③絵本やごっこのあそび、から、物事の考え方、生活への取り組み方、社会への関わり方を伝える。

 そうすると、ごっこのあそび、って、とても大事だな、と思います。ごっこ、すなわち、見立てるあそびですね。

 これって、あそびの場で、社会にある役割を知るとともに、その役割を、失敗してもいい形で演じることで物事を考えること、身体を使うこと、ひととやりとりすること、といったスキルを経験して、想像をしてストーリーを組み立てることを知ることもできますね。

 

 見立てるあそびについては、また、お話ししたいと思います。


 結論として、前向きな根性に結びつくあそび、この経験が、こどもたちに足りてない、と、私は思います。

 すぐに評価に結びつく教育のところに焦点をあてたり、学ぶ楽しさよりも、学んだ成果を求めたり、自分が何をしたいかを見つけるよりも、何を身につけないとお金にならないかへ進路を導いたり、こういったおとなの生き方が、なんか、こどもにはよいことを生み出してないのかもしれません。


 うかうかしている間に、まぶしい空、風に葉桜がそよぐ、春だなあ、の頃になりました。

 この季節、私は、いつも、Derek and the DominosのLayla and Other Assorted Love Songsを聞きます。

 学業を一旦、終えて、就職する、という節目、うららかな陽光を身に受けて、若く希望を持った日に、何度も聴いたアルバムで、今も、これを聞くたびに、自分の人生の良いときを思い出します。


 では、また。


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