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執筆者の写真Hiroyuki Notoh

どう言えば、勉強をするようになりますか



 8月も末になり、もう小学校も始まり、夏らしい夏も過ぎ行く頃になりました。暑い中、早々に通学するのもご苦労様やなぁ、と、こどもらを見ると思います。早朝からも陽射しは強いし、急いでいるのもあるのでしょうが、だいたいのこどもが、やや前方の地面を見つつ歩いているので、顔をあげないのは何でだろう、と、思うところもあります。

 しかし、ほんと、こどもたちが、笑顔で学校の時間を過ごしてほしい、と、祈ります。


 ひとが、季節の移ろいを感じるところ、例えば、風、雲、草花、などがありましょうし、朝晩の風が心地よくなってきた、雲が綿毛をそうっと伸ばしたようになってきた、などと、私も感じますが、もうひとつ、洗濯物が乾く時間と、乾き具合(例えば、陽射しがきついとパリパリ)は、身近に季節を感じるところで、生活に関わるだけに、割と大事なポイントになります。


 今夏は、私が惹かれる展覧会がいくつもあり、出かけることができました。またの機会、そこでの経験をお話することもありましょう。そんなことをフラフラしていたのもあって、書きたいことが散漫だったので、しばらくブログは、ほっとかれてしまったわけです。


 それで、年に数回ほど、保護者の方に向けた講演会をさせていただいてます。なかには、複数回の連続講座として開催しておられるところ、毎年の保護者会で呼んでくださるところもあり、ありがたいことです。

 以前は、私が話したいことを伝える、という、言葉通り、講演、という形ばかりでした。しかし、最近は、会場で、メモ用紙を配布してもらって、無記名で、こどものこと、自分のこと、夫婦関係のこと、仕事と家庭のこと、などなど、今、悩んでいる、気になっている、解決したいことを書いてもらって、集め、それを、順不同で、誰の質問か特定される情報を省いて、読み上げながら、私の考えを話す、という方法でお願いしています。

 んで、実際にどうするかを伝えないと意味がないと思っているので、具体的な行動を提案しています。

 この方が、保護者の方が、今、困ったなあ、と思っていることにお話しできるだろうし、誰が出した質問かはわからないけれど、その質問の内容や、それに対する私の考えを聞いていると、確かに自分もそういうことは悩みとしてあるなあ、ふぅん、そういう考え方もあるのか、と、思えて、実際、こちらの方が役立つようです。


 誰かひとりが悩んでいることは、おおよそ、どのひとも悩んでいる、自分だけではない、と、思えることは大切に思います。


 そういったところでいただく質問の中に、「どう言えば、勉強をするようになりますか」「どう言えば、宿題に自分で取りかかるようになりますか」といったものがあります。

 確かに、親としては悩みどころです。


 話は変わるようですが、私の両親は、私をどこの学校に入れたいか、将来、どんな職業に就かせたいか、を、どうも私が生まれる前から決めていて、それに向かうよう、私の行動も決めて育てました。

 なので、その妨げになる、と、両親が判断することを、私がやりだすと、制限しますし、交友関係も同じなわけです。

 その中で、自分なりに息が詰まらないように、楽しみを見つけたり、やってみたいことに取り組んだり、は、してきましたが、どうしても、それらを広げる、もっと励む、といった経験は阻まれましたし、ひととの交流もやはり、そうでした。

 なんだけど、結果、両親の期待通りの進路を達成できませんでした。私は、そのことが、両親の期待に沿えなかったから、というのではなく、それを達成できなかった自分はだめな人間に思えて、その進路をとることができたひとを羨んだものでした。その卑屈な感情は、その後、厄年を過ぎても続いてました。

 それに、自分が進学した学校、その後に就いた仕事は、自分の情けなさや汚点のようにも思えて、自分は、しょうもないな、と、より学力の高い学校や、そこから就けるキャリアを積んでいるひとを妬む気持ちもありました。

 そんなことで、私は、やりたいから、ではなくて、この仕事の中で、いかに、この卑屈な感情を解消するか、へと焦点をあてて、働いていたのだと、振り返って思います。

 こんなことを知らされると、よい感情をもたない、かつて関わりのあったひともいるとは思います。


 話がまた飛ぶようですが、これ、ブログですが、ずいぶんと文章が長いじゃないか、と、思いますが、私が楽しいと感じ、興味をもち、注意を集中できて、やりがいを感じるのは、こういった文章、言葉に関わっているときで、それなので、書いていて、面白いので、長くなるわけです。

 なので、私は言葉に携わる仕事に結びつく進路をとりたかったので、児童・生徒の頃は、それに関わる勉強は楽しく取り組んでいました。

 結局、仕事に就いた後、働いたお金で、自分が学びたいことを教わりに学校に行ったり、自分で本を買ってきて勉強したり、今も、そんなところです。


 まっ、ということで、「どう言えば、勉強をするようになりますか」や、「どう言えば、宿題に自分で取りかかるようになりますか」に対する、私の考えは次のようなものです。


「勉強を好きになる、ために、①知らなかったことを知る、気づかなかったことに気づく、ことにワクワクできる、②わからなかったことがわかるようになる自分をスゴイ、と思う、③こういうワクワク感、自分をスゴイ感を、もっと感じたいと思う、④そのために、もっと知りたい、もっと取り組みたい、と思う。この行いを持続できるように、こどもを育てる。そのために、①この子が、楽しいと思える活動は何かを知る、②それを、追求できるよう、親はどうすればいいかを考える。この2つを親は行う。例えば、こどもが昆虫を好きなら、どうやったら捕まえられるのか、どこにどんな虫がいるのか、長く生きる飼い方は、など、そういったことを図鑑などで、一緒に探して、実際に出向き、取り組んでみる。こういったことを、繰り返し行い、そこから、昆虫以外に、興味をもつ対象を広げ、いくつかの活動を楽しめるようにする、これが、勉強を好きになるよう育てることで、そこで出会うひととの交流を見守る。この経験は、自分が楽しい、続けたい、と思う活動と出会うことを保障し、それをともに行えるひととの出会いの機会を作り、それが将来の職業選択に生きてくる」


 まあ、だいたい、こういう話です。


 義務教育の後、高等教育に入ったとしても、その後、自分で働いて生きていく年月の方が長いです。その期間の方が、自分で得た金銭で、身の丈で、自分自身の人生を、自分自身で作っていく期間ですから、そのときに、いやいや仕事をするよりも、頑張ろう、と、思える仕事に就かないと、生きていて楽しくないです。それに、仕事以外に、楽しい活動があり、それぞれの活動をともに楽しむひとがいてくれる、ことは、ほんと楽しいでしょうね。

 こういったところでの、ひととの交流の経験から、ともだち関係が生まれ、パートナーの選択につながるんじゃないか、と思います。

 なんせ、生き急がず、ゆっくりと楽しい時間を楽しむよう、自分を持っていくことです。


 私は、中学生ぐらいからその後、何で生まれてきたんや、勘弁してくれ、と思ったときもありますし、いつまで生きて行かなあかんのやろ、と思うときや、何でこんな人生なんや、と思うことは、今でもあります。

 でも、何で生まれてきたのか、よりも、先を向いて、どう生きていきたいのか、を考える方が、いいかも、と思いますし、何でこんな親のところに生まれたんやろ、と思うよりも、そのことで自分は、他者とどう違っていて、その違う経験が、周りのひとを助けることにもなるんじゃないか、と考える方が、いいかも、です。

 一生懸命に生きているのは自分だけじゃなくて、みんな必死に生きているし、どんな境遇でも、出口を考えること、この考えるとは、身に降りかかっている問題をどう解決するか、どの段階で納得するか、ということですが、答えは自分で見つけないといけないんだけど、卑屈にならないで生きていると、それなりに、ひとが寄ってきてくれ、寄ってこられた分、生きていかなあかんな、と、思える。

 ずいぶんといろんなひとに迷惑かけ続けているし、迷惑どころか、そのひとの人生を全く違う方へ向かわせてしまいもしたし、なのに、救われて生きる分、自分もひとを救うようにならないといけませんね。

 ひょっとしたら、これが、ひとが生きている意味かもしれません。


 今の感染症のことも、指示を守る、というだけでは、結果、指示を与えたひとを責める、ことになるだけ。その指示の意味を吟味し、その指示をどのように行うか、ひとを自分を、どのように守るかは、自分の判断で、その方がいろいろと自分で考えられて、ひとを責めずに済みます。


こういう考え方って、「資質・能力の3つの柱」の、「知識及び技能」「思考力,判断力,表現力等」「学びに向かう力,人間性等」、そのままに思います。

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