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  • 執筆者の写真Hiroyuki Notoh

なんとなく症候群

 こんにちは。

 朝、もう6時過ぎぐらいには明るくて、夕、6時を過ぎても明るくて、うららかな季節にわくわくしています。

 またしばらく、音沙汰なしでしたが、それは私が「ふわふわ」していたからですが、春を先どりして、「ぼわーん」とも過ごしていたと思います。

 それが、先日、思いもよらぬ方が、ブログ読んでますよ、と、直接、言うてくださって、嬉しくなって、書いてみました。ありがとうございます。


 前回、「人間関係リセット症候群」という話題に触れましたが、ついこないだ、「上の子かわいくない症候群」という新しい言葉を教えてもらいました。

 そこで、私も新しいのを考案しました。

 「なんとなく症候群」です。映えない名前だし、「ふわふわ」とか、「ぼわーん」とか、「なんとなく」とか、あんたそのものや、と、言われそうな気もします。

 ちなみに、私の髪型がまんま、それ。


 以前、全国一斉に行われる試験の監督をしたことがあります。たくさんの十代後半の若いひとたちが受けていました。

 さて、その試験についてです。

 懸命に取り組むひとたちに混ざって、始まった途端に入眠される方を少なからずお見かけしたわけです。一旦、仮眠をとり、疲れを回復して、起きて、ヨッシャー、ダダダダっと、鉛筆を動かすのか、と思っていたら、いえいえそのまま、そして、休憩時間の間に、存在を消されるのです。

 ずいぶん嫌味でひねくれた言い方をしましたが、だって、なんで寝るの、ですし、なんでここにいるの、そして、なにをしにきたの、なにをいい加減なことしているの、と、私は、その方々を見て、思ったわけです。今でも、そう思いますよ。

 正直、時間を無駄にして、受験料をポイ捨てするぐらいなら、どっかあそびに行ったら、そのお金でなんかほしいもの買えば、アルバイトに行くか、家事を手伝うか、すればいい、いくらでも、時間とお金の使い道はあろうに、「もったいない」。

 「もったいない」、私は思うたわけです。

 こんなふうに、ひとを非難することをネット上に掲載すると、いわゆる炎上待ちですね。


 んで、なんやろ、あのひとら、と、知人に聞きましたら、そのひとらは、たぶん、もう、どこか次に進むところが決まっているはずだ、とのことでした。

 いや、それで、早くに、安定した先が決まっていると、やはり、気持ちはふわふわして、もう、愉快に行こうぜ、ヤッホー、と、人間、考える。とくに、若いとよりそうだ。

 そうすると、だらけてしまう。若いとよりそうだ。

 ついでに言うと、最近、この「若い」範囲がずいぶんと高年齢化していると思います。

 しかし、ここで問題があり、あそこのダラダラヤッホーのひとたちは、ドコソコ所属だ。ああ、ドコソコには、あんなテキトーな若者たちがいて、それを所属先のおとなは、ほっといている。あのドコソコのおとなこそ、テキトーで、丁寧な教育を放棄している、と、風評被害が広まる。

 すると、ヤッホーの若者たちの保護者も、どういうことですか、高いお金を払って預けているのに、と、怒りだす。すると、さらなる風評被害で、あのドコソコは、あかんよ、と、ネット上で広まり、そのドコソコの評判は落ち、若いひとが入ってこない。つまり、お金が集まってこない。

 この恐ろしい循環を防ぐため、ヤッホーの若者たちに課題を与え、試験参加を義務づけ、言うことを聞かないと罰則を与える、という、これまた恐ろしい暴挙に出るようです。

 そうすると、当の若者たちは、ヤッホー感を維持するために、制裁がふってこないよう、いわゆる記念受験すればいいのだわ、と、波風を立てない時間浪費を行う、という、解決を図るわけです。


 こういうのって、将来これからの若いひとたちが学ぶ場で、教えるべきではない問題解決方法だと、私は思うんです。だって、将来、自分が学んだ通りに、ひとに教えますから。


 さて、話は変わります。


 学校に行けない、行きたくない、行きたいけど行けない、どうすればいい、という相談、それに、進路をどうするか、どういう学校や職業を選択するか、という、お尋ねをいただくことが、それなりにあります。


 高校受験の相談を受けることもあります。

 それで、なんとなく多いのが、自分が受かるところを目指す、つまり、今の自分の成績で通えるところを探したい、というものです。保護者もで、こどもの今の成績で受かりそうなところのうち、できるだけレベルの高いところを、という話をよく聞きます。

 まあ、確かに、本人にしても、親にしてもそういう気持ちですよね。


 もうひとつの話です。以前より、学校に行けない相談を、こども本人からも受けることがあります。そんなに相談が多いわけではないのですが、ここ数年、その相談内容が、なんか前と違うな、と感じます。

 以前は、クラスメートなど同年代との関係、教師との問題、それに教科学習がしんどい、など、学校に行けなくなる理由が、本人にもはっきりしていて、保護者も理解していて、というのが、ほとんどでした。

 しかし、ここしばらくを省みると、本人自身、学校に行けない理由がわからない。無論、親も教師も、わからない。なので、どうしたらいいかわからない、という感じがあります。


 本人らと話すと、どうも、そのほとんどは、なんとなく学校に行けなくなった、だけど、行きたくない、とまで強くは思わない。行きたい気持ちもあるし、たまに行こうかな、行けそうかな、と思って、クラスに入ることもある。けど、続けられない。

 学校に行かない日は、親が起こすと起きるか、自分で起きる。布団から出て、親が作った朝食をとる。それから、リビングのソファでゲームするか、ユーチューブを見る。それで、親が作り置きした昼食を食べる。夕食は、親に当たり障りない時間に、自分の部屋から出て来て、食卓で自分の好きな時間に食べる。だいたい2時ぐらいまでには寝るぐらい。親とも話をするし、一緒に出かけることもあるし、学校が休みの日は、友だちと誘いあって出かけもする、というものです。


 最近、私なりに、そのこどもたちが、学校に行けなくなった、というか、行かなくなった理由で、少しわかってきたことがあります。


 それは、将来の目標がない、ということです。


 つまり、例えば、自分が将来、動物の飼育員になりたい、そのためには、どうも専門学校ってとこに入ったらいいみたいだ。んで、どこがいいか見ていると、獣医さんになった方がもっと動物を大事にできそうだ、ということに気づいた。けど、大学に行かなあかんって、たいへんそうだ、勉強しなくっちゃ、でも、勉強がわからない、やめとこか、どうしよう。どっちが授業料高いんやろ、どこに学校あるんやろ、うちの親、どう言うやろ、きょうだいいるし、私だけにお金はかけられんやろ、友だちはどう思うやろ、あの子らはどこ受けるんやろ、なんか獣医さんの方がよさげな気になってきた。今更やけど、塾に行った方がいいのかな、うちの親、塾代払ってくれるかな。いや、やっぱ、飼育員さんの方が向いてるかな、いやいや、私、それ、逃げてないか、など。※ 職業の優劣を私は言うているのではありません。念のため。

 こんな感じで、自分の将来を考えるにあたって、ぼやーんとしたところはあるけれども、自分の興味と能力を照らしあわせ、やりたいことをある程度は絞って、そこへ向かうには、いったい、自分は何を解決していけばいいのか、現実的に課題を考える。

 そして、その考えることは、自分への希望というか、自分への期待というか、自分をどうしたら大事に楽しい自分へと、将来、もっていけるか、ということなので、課題に取り組むことはしんどいけど、ヨッシャー、ダダダダっと、やらんと、どうしようもないやろ、と、思う。それに、自分が頑張るのを応援してくれるひとがいるし、それに応えなあかんやろ。


 こういう気持ちが、それほど持てていない、というのが、理由ははっきりとしないけど、学校に行けない、行かない、こどものなかにあるように、私は感じるのです。

 自分は、今、学校でどうしていいか、進路をどうしたらいいかわからない、そうすると、学校に行く意味もわからないし、課題に取り組む気にもなれないし、ともだちとも気持ちの差を感じるし、でも、どうしていいか、自分がわからない。そこで、学校に行けない、行かない、ということになってそうに思うんです。


 なんだけど、ゲームしてたり、ユーチューブ見たり、なんとなくそういうのをしてると、あまりしんどい気持ちにならずに、時間が過ぎてくれる。


 先の記念受験の高校生、どっか入れる高校をという中学生、そして、それを求める教師、それでいいと考える親、厳しい言い方ですが、こどもは自分の、おとなはこどもの、将来を放棄している、させている、と、私は思います。


 でも、これは、こどもの責任ではないでしょう。おとなの責任です。おとなのなかでも、親です。

 こどもは親に教わって育って、それを繰り返すところがありますから。


 親が、こどもに対して、どう育ってほしい、どういう生き方をしてほしい、と、押しつけではなく、こどもの興味や能力を推しはかり、こどものそれらに沿った将来を考えて、伴走するために、先の道を下調べして、こどもに希望を持ちつつも、親の望みで切り捨てるべきところはそうして、そして、親自身も頑張って生活し、働き、こどもに必要なことをする。でも、親だって、できないことはあるし、限界はある、けど、頑張ってる。この親の努力をたまにはアピールするけれども、こどもに見せつけないように気をつけて、そして、お前のために、なんて偉そうに思わずに、こどものためになることを考えて、それを行う自分は、なかなかええ奴や、と、自分を肯定的にとらえる。それに、そういう私をようやってるな、とほめてくれるひとがいる。

 こういう感じの親の姿を見て、こどもも、自分がおとなになって生きていくことを真剣に考えていくのだと思います。


 うららかな陽気のなかに、さみしさ、悲しさ、不安、が、芽吹くこのとき、あらためて、自分はどう生きてきたんやろ、どうして行きたいんやろ、なんとなく過ぎて行かないよう、考えてもみたいと思います。


 それで、上の子かわいくない症候群って、の、また、私の考えをいずれ、お話ししたいと思いますが、とりあえず、なんでもかんでも自分を否定的な言葉で飾らないことです。


 では、また。


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