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  • 執筆者の写真Hiroyuki Notoh

不適切保育と、ばんそうこうの誘惑

 こんにちは。

 おかげさまで、このホームページを開設し、1年が過ぎました。ありがとうございます。こういったインターネット領域が疎遠である私が尋ねることに、親身になって、あれこれと教えてくれる友人、内容をみて、いろいろと教えてくださる方々、ブログ読んでるよ、と、励ましてくださる方々、お仕事をくださる方々、ありがとうございます。

 お力添えをいただき、自分が生涯の役割と思っていることができて、それで、身辺が成り立ち、楽しみとすることもできて、ありがたいことです。


 慎ましく、謙虚なことを言ってますが、ここで宣伝です。


 私はどんなことを考えて自由業となったか、なぜ、この仕事で生きて行こうと思ったか、知りたいですよね。きっと。

 関心のある方は、「庭プレス」さん発行の、「庭しんぶん」の連載小説、「仕事探しは、実に、本当に、」を、是非、お読みください。おかげさまで、小説家デビューです。

 ついでに言いますと、「実に」や「本当に」、にあたる英語の語彙は、”indeed”です。小説のタイトルを「幸せなら手をたたこう」の曲にあわせて、やや早口で歌ってください。そうすると、冗談みたいな私に、より親しみが湧くはずです。

 そして、「庭しんぶん」が毎月届くのを、手拍子しながら待つはずです。

 保育に関わる方だけではなく、こどもを育てている方だけではなく、そこに関わる方だけでなく、もっと、根本のところで、気づかなかった悲しみを拾うことで、喜びを得る幸せ、私の感想ですが、閉ざしているようで与えようとしている記事が掲載されています。

 私もちゃんとお支払いをして購読しております。おすすめします。


 さて、今日はこんな話です。


 つい、この間、電話でしゃべっていたひとが、ばんそうこうを買ったと言いました。

 これが薬局で、とか、どっかでぶつけて擦り傷が、なら、適切な話だと思うわけです。

 しかし、この方、どうもお菓子のお店で、そこのキャラクター商品として陳列してたのを見て、かわいいから、という理由で入手した、とのことでした。もちろん、どっこもケガはなく、美味しくお菓子も召し上がった雰囲気でした。おかしな話だと私は思ったわけです。

 それで、私が、もったいない、不要なものを、それに、じゃあ現実、そのばんそうこう、使うの、と、質すと、いや、かわいいから、と、使い道も考えずにいるようで、揚げ句に、じゃあ、今度、会うひとへのおみやげに、と、自分の行為を正当化していました。

 しかも、自分も買おうか買うまいか悩んだ、一旦は手に取り、戻した、しかし、誘惑が、と、まるで、ばんそうこうを買ったのは自分の意志ではなく、ばんそうこうに責任がある、と、恐ろしい責任のなすりつけを始めました。

 あまりの発言に、私は、電話口で身が震えました。


 いや、それで、誘惑される、って、よく言いますね。

 お菓子に誘惑された、誰それに誘惑された、などなど。


 誘惑された方の発言例:

 信じてください、私じゃないんですよ、このもの、このひとが、私を、私の心と身体を、ああ、連れ去ったんです、本当です。私が願ったんじゃないんです。信じてください。

私の弱さが、ああ、ごめんなさい。


 誘惑した方の発言例:

 ごめんなさい、本心からじゃないんです、ふと、さみしかったんです、迷惑をかけると、わかっていたのに、ああ、負けてしまったんです、ごめんなさい、言い訳じゃないんです、ねぇ、聞いて、きまぐれじゃない、そのときは、本当にそう願ったです。私、そのときは、弱かったんです。


 だいたい、誘惑を受ける方も、する方も、こういう発言にはなろうかと思います。


 んで、ばんそうこうに誘惑されたひとに、私が言うたのは、次の通りです。


 あんな、ええか、誘惑っちゅうのはね、自分がそうされたい、と、どっか、心の片隅で、思うてるからやで。いや、あのばんそうこう、かわいいわぁ、ほしいわぁ、あれ、なんと、これ、今の私のお財布の範囲内やわ、どうしよう、やっぱりやめとこか、でも、いいよね、ちょっと、癒しになるし、って、そう思った自分の心に顔を背けてるだけや。

 だいたい、自分の弱さがそうさせたって言うけど、弱さも自分のうち、結局、自分やで。

 なあ、結局、誘惑って、自分から求めているから、受けてしまうんや。


 こう言い放ちました。

 今、この方、この冷たい発言を再度、経験して、心がわなないているはずです。


 これは、誘惑を受ける方ですが、誘惑をする方も同じだと思います。


 なんとか、自分の思う通りにならないだろうか、と、思案して、でも、それは、ひとからみたら咎めを受けるようなことで、でも、見つからないように思う通りにするには、さて、なるほど、相手がその気になるようにしむければ、私だけが糺されることはない。

 そこで、策略を練って、誘惑開始となるのかと思います。


 どちらにしても、自分がそう願っていることを、あたかも、ひとのせい、もののせい、とする。誘惑って、そういうことかな、と。

 それなら、はっきり、欲しかったんです、そうしたかったんです、と、言い切った方が、自分でもすっきりするんじゃないかと。


 話は全く変わりますが、「不適切保育」という言葉を、最近、聞きますし、見ます。誰がいつ言い出したのか、んで、「不適切」って何だろう、と、思います。


 「不適切」を詳細に詰めて説明しなくても、端的に、「それはやったらあかんやろ」と、そういう意味として、ともかくとらえます。

 それで、「保育」についても、難しいことを考えず、「こどもをかわいいかわいいする」と、ともかくとらえます。

 あわせますと、「それはやったらあかんやろ」というやり方で、「こどもをかわいいかわいいする」、これが「不適切保育」という意味に合成されるかと思います。


 しかし、いや、ところがですよ、「それはやったらあかんやろ」ということをするということは、「かわいいかわいいする」とは真逆、「きらいきらいする」ことじゃないですか。

 んで、こどもを「きらいきらいする」って、それ、「かわいいかわいいする」と反対言葉だから、「不適切」と「保育」は両立しえない、と考えらえます。


 なので、私としたら、「不適切保育」という言葉自体が、「不適切」で、そんな保育は、世の中に存在せず、今、世間で「不適切保育」と呼ばれているものは、保育じゃない。

 単に自分の鬱憤をはらすのに、こどもを利用した、そうして、機嫌よく、映えた笑顔を、アップして、お金を得て、暮らしている、そういうひとのことを指すのかと考えます。

 「そういうひと」と言いましたが、だって、そういうひとは保育に携わるひとじゃない。


 もっと身近に考えると、「不適切」って、「それ、違うんちゃう」という違和感であり、違和感っていうのは、納得できない、おかしいやん、と、感じたときの言葉でしょう。

 そうすると、自分が納得できないこと、おかしいと感じることを、こどもにする、もっと端的には、「自分がされて嫌なことをこどもにする」、これが「不適切保育」と言えますでしょう。


 なんとなく、今の社会を見ていると、そのうち、「不適切保育チェック表」なんてものが出てきそうです。

 それで、チェックしてセーフなら「適切」、なんだけど、そのうちセーフの範囲で問題が起これば、チェック表のバージョンアップ、と、そんなことが始まるのかと思います。


 とても嫌味な言い方をすると、チェック表の作成でお米を買うひとは、虐げられたひとのお陰で生きていることに気づかず、チェック表ができたよ、って、配布するひとは、それで自分の責任を果たしたと安堵する。

 とても、嫌なことを言いますが、こんなことがひとの心のうちにあるなら、チェック表のバージョンアップという、虐げられるひとの広がりに歯止めはかからない。


 「不適切保育」が行われていること、そのことで、「適切」を説き、糊口をしのぐのは、いかがなものか、それより、そこには、虐げられたこどもと同じくおとながいること、その根は何か、ここをとらえずにいると、「適切」は、次の「不適切」を招く気もします。


 しかし、さっきの通り、「自分がされて嫌なことをしない」、ということだけを守れば、ひとを侵害しないし、自分も気持ちよく生きていけるように思うんです。


 それで、「自分がされて嫌なことをしない」ように生きていくためには、何が必要か。


 私は、ふたつ必要なことがあると思います。


 ひとつは、自分が楽しいことを見つける、ということです。

 繰り返し言うのは、さらに嫌な気持ちですが、「不適切保育」をするひと、って、保育の役割に、楽しいことがないんじゃないか、と思います。

 ひょっとしたら、その役割そのものが楽しくない、かもしれない、興味もなく、就いた、かもしれない、職場がそういった楽しさを見出し得ない、のかもしれない。

 いろいろと楽しくない理由はありましょうが、自分の毎日の生活のどこかに楽しいことを作る、ということが、自分自身を「不適切」に置かないことになるんじゃないでしょうか。

 前にブログで言ったかもしれませんが、ここには、自分のこれまで今の人生で、例え、「不適切」と言い切る身に置かれていたとしても、それを自分で払拭しない限りは、自分で自分を理不尽な方向に追いやるだけです。同じ連鎖は断ち切らないといけません。


 ふたつは、自分がされて楽しいことをしてくれる身近なひとを見つける、ことです。

 一緒にいて楽しいと思えるひと、それが、保育をともにするこどもかもしれないし、同僚かもしれないし、上司かもしれないし、ともだち、家族かもしれません。

 楽しさを引き出して、ともにしてくれるひとがいてくれると、「不適切」とは全く反対の方向に向かって、自分がひとに果たす役割を行うことにつながるんじゃないでしょうか。


 いや、それで、しつこいですが、「誘惑」が、他者に自分の責任を押しつけることなら、「不適切」を協働することも同じく、他者に自分の責めをなすりつけることでしょう。

 自分の弱さがそうさせた、置かれた環境がそうさせた、加わらないと自分がそうされる、なかったことにしないと自分はともかく他のひとが困る。

 こういった考えは、全て、「誘惑」に身を委ねた、「不適切」の「適切化」に過ぎないと思います。


 さて、そうすると、本来の目的に使用するはずもない、ばんそうこうに無駄遣いをして、ばんそうこうに責任を押しつけるなんて、自分の弱さを認めつつ、おみやげにして、ひとに面白がってもらおうとするわけですから、電話の向こうのひとは、自分もひとも「かわいいかわいいする」、「適切」なひとだと、落ちが着くわけです。


 では、また。


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