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  • 執筆者の写真Hiroyuki Notoh

中学生の娘です。サンタがほんまにいると信じてます。

 こんにちは。

 この前は、まだまだ暑いときでしたが、もうすっかり、季節が移りました。

 それで、それなら、いっそのこと、もうひとつ。サンタさんが登場する話です。


 ずいぶんと前に、次のような問いを受けました。


 「私には、中学生になる娘がいます。吹奏楽部に所属し、管楽器の演奏に励んでいます。実は、まだ、サンタクロースの存在を信じています。例年、24日になると、こどもがまだ小さい頃は夕食の時、遅くまで起きるようになってからは夜中、私の兄がサンタに扮して、プレゼントを届けてくれます。これまで、うまく演じてきたのを、おとなの自慢としてきましたが、今回は、潮時かと思います。と言いますのも、こどもが言いますには、『今年ナ、サンタさんに、サックス、頼んだデ。学校で借りっパしとるのも不便ヤ。ナッ、そやロ』。それを聞いて、いくらぐらいするのか調べてみましたが、とんでもトンデモございません。ウチの家計から捻出できる金額ではありません。『アンタが信じていたサンタは、おじさんやったんヤ』とすべてをバラしてしまうか、いや、そんなことをしたら、親子関係が歪んでとりかえしのつかないヒビが入るんじゃないか、かといって、そんな高いもの買えないし、私はどうしたらいいでしょう」


 んで、まァ、お母さん、娘にこんな感じで言うみたら、というところで。


 あんナ、アンタ、いくらエエひとで、言うこと聞いてくれる、ちゅうてもナ、よう考えてみいヤ、あのジイさんも、気張ってなんか働くか、寄付集めるか、なんかして、あんたよりちいちゃいこどもらに、なんとかして、ええもんあげよ、って、ナッ、一年かけて用意してはんねんヤ。そりゃ、大変やデ。わかるか、あの年デ、私はナ、そりゃ、気の毒に思うワ。そりゃ、あのひとは立派なひとヤ。それはヒテイせえへん。でもな、人間誰しもな、限界っちゅうもんがあんねん、ゲ・ン・カ・イが。誰でも、何でも、そやろな。ほんで、ええカ、イヤ、ちょっと待ちや、あんひとは、ひとかいな、まあ、ええナ、そうしとこ。ほんでな、こっからが肝心な話ヤ。うちは4人家族やナ。んでな、お父ちゃんがナ、肉まん、あれや、例の、あらへんかったら、家ん中、北風ピープーなるヤツ、あれをな、3つ、もろてきた、としようや。どうするヨ。4人で3個ヤ。1個ずつはあかんワナ。そういうてナ、誰かひとり我慢ちゅうのも、せつない話ャ。てッことわや、1個を4つにわけるとする。3個やからナ、どないなるんヤ、3×4 de 12個ナ、わかるナ、掛け算、んなら、ひとり、3切れずつ、ほれ、これっちゅうのが、マア、平等。せやわな。わかるナ。けどな、ほれッ、お父ちゃん、見てわかるやろ。あのお腹、サワー太りや。ナ、糖質とアブラはカットした方がエエ。んでな、あんた、あんたヤ、あんたこん頃、鏡バッカ見とるけど、ナ、気にしとんにゃろ、ええで、エエde、構まへん、カマヘン、イヤ、言わんでもエエ、わかるで、わかる。当たり前や、オヤやからな、お母ちゃんもそうやった。私もナ、あんたぐらいのとき、カラダノライン、こうな、こう。これ内緒やで、結婚して、ちゅうひと、お父ちゃん以外におったんヤde。まッ、そんな話ええワ。なんや自慢しとるみたいやしな。あんた、私に似テ、ヨカッタで。ほんまに。んで、話もどすけどナ、おいしいもんは、ナッ、カロリーが高いんヤ、これが、難シイ。んでな、あんたの兄ちゃん、この頃、エラソにモノ言うて、ほんま腹立つやんカ、あんたにもそうやろ、ひとりでカシコなったみたいな顔して、弁当の文句は言うし、いくらお母ちゃん言うテモ、素直にやれへんときがある。そこで、ナッ、お父ちゃんとアンタで、肉まん1個を半分。ほんでヤ、兄ちゃんと私で半分。余った分はナッ、レートー。これで、ビョードーや。ま、レートーしたら、味も落ちる、あんたらに食べさせんのも気が引ける、私がゴジツ食べとくワ。ナッ、こういうのが、平等ちゅうんやデ。わかるナッ、覚えとき、覚えとき。必要なひとに、必要なもんを、必要に応じて。そやろ。せやさかい、ちいちゃいこどもに、ナッ、ほしいもんあげたらナ、ほら、ええことした、ナッ。あんたも、せんど、よーけーもろた。あんたもそろそろシオドキや。変わったげ、変わったゲ、なんでもかわりばんこ、順番。人間はナッ、感謝が大事ヤ。いつも言うとるやろ。んで、サンタさんにナ、ええか、こっから、よう聞きヤ。エー、これまでたくさんありがとうございました。感謝の申し上げようもございません。いつまでも世話になっとるとあかんさかいニ、今年からは、自分でなんとかします。私の分は、もっとちっちゃいこどもにあげてください。ほんまに、おおきに。どうぞ、身体に無理せんと気張ってください。そうやって、手紙、書キ。何でも感謝、ありがとうヤ。ほんなら、あんたがジタイしたおかげでナ、あのひとの苦労もやな、報われて、ほしいもんもろて、機嫌ようなる子が増えるんヤ。あんたはええ子ヤ。アーこういうのも、ジュンカイシャカイか、最近、なんや、テレビdeそんなこと言うとるナッ。


 ちゅうことで、後日。


 「先日は、お忙しい中、ご回答をいただき、ありがとうございました。先生のアドバイス通りにはうまく言えませんでしたが、いただいた通りの内容で、話をしました。そしたら、こういうことになりました」


 「ナァ、お母チャンッ、ゴメンやデ。私、ナァ、前から、あれ、オッチャンやん、っテ、わかッとッたんやけど、オッチャン、小ちゃいときから、かわいがってくれてるし、ナァ、えらい寒いときに来てくれて、クリスマスやし、ナァ、オッチャンも、ナァ、一杯飲んで、気楽にいきたいやろーにィ、と思ってナァ、まァ、プレゼントの資金繰りは、お母チャンとお父チャンやろけど、オトナが機嫌よう、やってくれとるし、信じたフリを、まァ、ナァ、しとったんヤ。まァな、うちの家では、サックスは無理やな。わかっとる。わかっとるよ。兄ちゃんも受験やし。ワカットル。ちょっとナ、言うてみたまでヤ。オッチャンサンタに、手紙は書いとくしナ。オッチャンもエエ歳やし、寒いとッからウチ来て、ヒートショックになったらあかんしナ。気いつけてもらわんとナァ。それにィ、あれ、ソリを演出しとったんやろな。リンリンリンリン、自転車のベル、あれ、近所迷惑な風物詩やし、今年で終了ヤ」


 「娘が話すのを聞いて、こどもはこどもなりに親のこと考えてくれてる、と思いました。私の兄も喜ぶと思います。それで、娘がこう言うてくれたのを、夫に伝えました」


 「はァー、アレ、なかなかカシコイやっちゃ。コー言うのヲ、シンリサクセン、って言うにゃろナ。オマエ、娘にしてやられとるデ。アイツはナ、そんなこと言うテ、わしらをシミジミしじみ汁な気持ちにしといて、ドッカデ、ソノウチ、その楽器、ネダッテヤロ、って、そんなコンタンや。オマエ、娘にカワイソウなことした、買えたらカッテやりたいもんヤ、ドッカdeそう思たヤロ、アイツに見透かされトル。親のスキをナッ、こうナッ、こうヤ、ついてくる年になりよった。ンで、そのナンヤ、仕事人で、チャララーン、チャチャチャ、チャチャッ、チャラリーン、あれか、サックスってのワ、いやチャウな、トランペットや、ナッ、アー、あれや、ババババー、ブブブブー、バビバビー、って、石川なんや、あれヤ、ツガルカイキョーや。波止場deムセビ泣くムード歌謡ショーっ。懐かしいやないかいナ、ショーワの曲は。んで、それ、いくらすんニャ? ソレデヤ、アイツのともだちは、ヤッ、ミンナ、持ってんのかァ? そやったら、アイツもカワイソーやし、どやな」


 「夫のヒロシの方が、娘に騙されたと思います」


 これまた、昭和なオチがついたところde。


 最近、「親ガチャ」という言葉を聞きます。ネットスラングですな。

どうも、私は、これに違和感があります。そのうち、「きょうだいガチャ」「学校ガチャ」「パートナーガチャ」、で、あげくのはてには、「ワタシガチャ」も出てきそうです。

確かに、「もっと違う家庭だったら」「こんな親じゃなかったら」と思うこともあります。それは、思うでしょう。私もそう思ったことは何度もあります。

 それに、今、様々に報道されているところから、「親ガチャ」なんて言葉では済まない、切実な問題を負わされたこどももいますし、かぶらされたままおとなになって、「人生とか言うけど、私はなんや」と自暴自棄な気持ちになるひともいるでしょう。

 そうなんだけど、ひとごとに言いますが、「親ガチャ」なんて言うのをやめよう、言うて何が変わるのか、と、私は思うのです。

 きれいごとを言います。

 自分がこどもだった頃の親ぐらいの年齢になったとき、自分の弱さというのでしょうか、どうしようもない自分の境遇、自分そのものに気づいたとき、自分がどれだけ弱い人間か、情けない人間かがわかったとき、ああ、こんなとき、あの親は、こう言っていた、あの親、こういうことを思ってたんだろう、あの親は、今の自分にこう言うだろう。

 ああ、自分は、あの親と同じものの考え方、態度、で、ひとに応じている。あんなふうになりたくなかったのに、なぜだろう。

 自分の親を、自分と離れた人間として、見直すことで、親がどういう人間であったかが、わかり、そこから、自分がどんな人間かもわかるんだ、と、思います。

 つまり、自分の親のことを考えないと、自分というものがわからない、自分というものにならない、ひととともに生きていけるひとりの人間にならない、という感じです。

 自分で自分の弱さを引き受けなれば、親を恨み、自分の思い通りにならないひとを恨み、あげく、自分が生きていることを恨み、自分を憎しみ、その寒気はまた親と周りのひとへと向く。

 これでは、結局、自分を憎むことが、世代を超えて繰り返されるだけです。

 このような生き方、と言いますか、考え方は何ももたらさないです。

 しかし、なんて言うんですか、こうして自分のことを考えるって、ひとりではできない。「あんたは、それでいいんよ」と、言ってくれる誰かがいない、自分を自分で助けることはできないです。

 いつだったか、だいぶ前のブログにも書きましたが、こどもは親を選んで生まれてくる。自分もそうだ。

 なので、自分の親を怨むのではなく、この親に育てられた良いことも嫌なことも、自分に必要なことであった、と考え、恨みではなく、何を得たか、得たことを受け入れ、決して、ひがんではいけない。誰かがいればひがむことはない。

 きっと、自分を助けてくれる誰かはいる。いない、というひとは、手を差し伸べてくれている誰かに気づいていない、自分の恨みしか見えていないのだと、思うこと。

 むずかしいことだけど、そうでも思わないと、せっかく生きているんだから、よい思いをしたいじゃないですか。


 ああ、それで、書いてて思ったんですが、関西の言葉って、文字数多くなるんかな、と、思ったら、そうでもないですね。例えば、こんな感じ。


 「なにいうてんのん、そんなんあかんちゅうてるやんか」

 「なにをいってるの、それはだめだといってるでしょ」


 「ええかげんにしいや、さっさとしたらええねん、しんきくさい」

 「いいかげんにしなさい、はやくしなさい、はっきりしなさい」


 「なんや、それ、しょうもない」

 「なんですか、それは、ひつようありません」

 

 私が書く登場人物の会話が冗長でくどいだけで、うちは、んなこと、あらへんde。


 くどい! ではまた。


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