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優しいひと

執筆者の写真: Hiroyuki NotohHiroyuki Notoh

こんにちは。

 電車で、ちょっと、のところなので、堅固なフェンスのわずかな隙間から、なんとなく、うかがうところがあります。私がそこを通る時間、曜日、ひとの気配はなさそうです。

 2年間、連れて行ってもらった幼稚園です。

 連れて行って、というのは、母親による公共交通機関を使った送り迎えだったからです。

 その後、義務教育の後も、いくつか、学校と呼ばれるところに通いましたが、出てから、訪ねる気持ちはありません。


 愛着、という言葉は、多くの意味を与えられて、一様に表現されてはいないでしょうが、自分の身体を通した、と、言いましょうか、身体の感覚をもって、愛おしく感ずる対象、と、すれば、私は、幼稚園に愛着があります。


 私は、ひとよりも、記憶が残りやすい方だと思いますが、かれこれ、数十年以上遡った、幼稚園児の頃のことを、いくつも思い出すことができます。

 幼稚園に愛着、思い出がいくつも、と、言いましたが、なんのことはない、担任であった先生が、とても優しいひと、今でもそう思いますが、その先生に、愛着があるのです。


 先生がお休みの日は、代わりの先生、おそらく、偉い立場のひと、だったのでしょうが、その方と一日を過ごしましたが、よい記憶はありません。つまんない日でした。

 その代行の先生が紙芝居を読んでくれました。

 人間は死ぬと天国に行くけれど、他の生き物はそこには行けない、という話でした。

 私は、それはおかしい、と思って、それじゃ、かわいそうだ、というようなことを言ったと思いますが、却下されました。

 

 私は、今はごく一般的な健康状態だと思っていますが、こどもの頃は、ずいぶんと虚弱でした。慢性疾患もありましたし、養生する日も多かったです。なので、通院してから登園、という日も、ありました。大学病院の外のベンチで、冷凍のカレーコロッケを詰めた弁当を食べてから登園した、という記憶もあります。今ですと、冷食はレンチンですが、当時は、揚げていたんだと思います。

 母親は3年保育で通わせたかったそうですが、園長さんが、2年にしなさい、と、言ったそうです。身体的なことが理由だそうですが、私は自分で当時から自覚していたのですが、同年齢のこどもらと比べて、物事の理解も、運動も、明らかに追いついてはいない、感覚があったので、園長さんはそれを見抜いたのではないか、と、思っています。

 自分が年齢に比して幼い、との、その頃の気づきは、成人してからも長らくつきまとったものです。


 それで、動物園へ遠足に行きました。朝から胃腸の具合は悪かったのですが、母親の言うことを聞かず、強情に言い張って、登園したのでしょう。私は、一度、言い出すと、頑固に抵抗する気性でした。が、到着後、すぐに体調を崩しました。

 その帰り道、どれぐらいの距離かはわかりません。もしや、行程の一部はバスだったかもしれませんが、とりあえず、その担任の先生がおんぶして園まで連れて帰ってくれたことは確かです。

 真っ赤なセーター、たぶん、化繊まじり、その背中に身を任せたまま、嘔吐しました。

 服装からして秋です。右肩にべっとりと吐瀉物がかかり、肌まで染み込んだでしょうが、そのまま、先生は連れて帰ってくれました。

 優しいひとです。


 もちろん、おこられることもありました。

 お弁当の時間だと呼ばれていることに気づかず、園庭で遊んでいて、ふと廊下を見ると、えらくりりしいまなざしを向けられて、あわてて戻りましたが、おこられたと思いますが、ちゃんと、園内設備で保温した、飛行機の写真がプリントされた、持参のアルミの弁当箱を渡してくれました。


 私が卒園すると同じく、結婚するとのことで、他県へ行かれました。

 以降、途絶えました。


 途絶えたのは、先生との音信だけではありません。


 私が、唯一、会いたいな、と思う先生は、この方だけだけど、会ってみたい、けど、もうどうしようもないです。

 この方が、私の人生において、先生、って、どんなひと、になりました。


 なんの責任もない、たくさんの夢がある、そのときそのときだけを考えればよい、人生の出発のとき、幸せなときに、幸せをもらえた。

 ほんと、優しい先生に、会いたいな、と、思います。

 


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