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  • 執筆者の写真Hiroyuki Notoh

就学前の教育で思うこと。ちょっとフレーベル

 こんにちは。


 つい先日のことです。

 長らくミッションスクールで教育職を務めてこられた方とお話しをさせていただく機会をいただきました。その方が、次のようなことをおっしゃいました。

 内容と表現は、私の方で変えています。


 5歳児のこどもたちがクッキーを作って、同じ数ずつ、みんなでわけあいましたら、4つ余りました。

 さて、どうするか。担任の保育者が、こどもたちに尋ねました。

 「わたしたちより先生の方が(身体が)大きいから、先生が食べたらいいよ」

 「クッキーを割って、みんなで分けようよ」

 「じゃんけんしよう。勝ったらもらえるのはどう?」

 こういった意見が出たようです。


 こどもたちの発言を聞いて、その方は、このようなことを考えた、とのことでした。


 「先生が食べたらいいよ」というこども:

   クッキーの数を、こどもの数で割ったら、あまりが出た、という「割り算」の経験を

  している。

 「クッキーを割ろう」というこども:

   ひとつのものを分割して、それをわけあおうとしている。このとき、わけたかけらを

  集めるとひとつになることを知っている。

   わけたかけらが集まった数を分母、ひとりにわけた数を分子ととらえて、この分数を

  足すと”1”になる。つまり、「分数の計算」を経験している。

 「じゃんけんしよう」というこども:

   “グー”、“チョキ”、“パー”3つの選択肢をもって、クッキーを手にする可能性を探って

  いるから、「確率」の経験をしている。


 もうひとつのできごともお聞きしました。


 毎年、こどもたちと芋掘りに行った。こどもたちがつるをひっぱって、土をかきわける。すると、芋が連なって出てくる。

 ひとつのつるにいくつかの芋があるけれど、たくさんついているのもあれば、わずかしかついていないのもある。

 たくさんついているからといって、どれもが大きいわけでもなく、少ししかついていないからといって、どれもが小ぶりなわけでもない。

 つるごとに芋を並べてみる。どのつるの方がついている芋が多いか比べる。ひとつひとつ見て、丸い、長い、曲がっている、など言いあう。

 これは、「整数の性質」をもとに「引き算」を経験し、「体積」のとらえかたを経験している。


 もちろん、これら、こどもたちの経験すべてが、数学的な概念だけで説明がまとまるものではありません。もっと多くの学びを得てはいるでしょう。


 しかし、就学を前にして、こどもたちが、実体験を通して、身体をもって、数学の概念に触れることは、その後、教科学習で、数字や記号をもとに抽象的な推論を行うにあたって、それらの概念を操作する経験になっているのだろう。


 このようなことを、その方から教えていただきました。


 そう思うと、数学、そして、それを用いた物理学は、この世界に存在するものの、存在のありようを説明してくれます。

 余ったクッキーをどうするか、芋がどれだけ収穫できたか、を考えるこどもたちも、この世界に存在するクッキーと芋と自分たちのありようを説明しようとしています。


 私は外国語の学びも、こういった体験を通して、概念に触れていくことが大切だと思っています。

 例えば、英語だと、アルファベットを、単語を、文法を覚えてから、もしくは、それらを学ぶ際に、外国のひとびとや文化に触れることが最初の経験ではないように思います。

 むしろ、先に、外国のひとびとや文化を経験し、そこに興味を持って、知りたいという、身体から湧き上がる、なんといいましょうか、エネルギーの発露、のようなものがあって、そこから、自分にとっての、その外国語の学習、となるのではないでしょうか。


 このように考えると、外国語は、自分が知りたいと感じる世界に存在する、ひとやもののありようを追求するものといえますでしょう。


 学問というのは真理を追及することだとは、よく言われます。学問は先に挙げた、数学、物理学、語学だけでは、ありません。芸術やスポーツ、もっとたくさんの領域があります。

 そして、真理を追及するとは、この世界が、ひとが、自分がどのような存在であるかを、探索し、明らかにしようとする行いです。

 その明らかにする方法論が、数学や物理学や言語や芸術やスポーツなどといった領域なのでしょう。


 クッキーを目の前にしたこども、芋を掘り出したこどもは、真理を探し求める経験をしているといえるのではないでしょうか。

 そうすると、そこに関わるおとなも、そのとき、その場で、クッキーから、芋掘りから、どのような、世界の理をこどもが発見するのを助けるのか。

 おとな自身が、この世界に存在するものごと、そこにある人間の営みを、それらの歴史や地理的な広がりも含めて、好奇心をもつ。この態度があってこそ、こどもたちを学びに誘うことができるのだと思います。


 就学を控えているから、ひらがなを書けるように教えておく、足し算や引き算を教えておく。グローバル化に乗り遅れないように英語を教えておく。

 これでは、手段は教えても、その手段をなんのために生かすかを教えてはいませんから、目的なき学びによって、こどもたちは、学びに直面したときに覚えるであろう、身体に湧き起こるエネルギーの発露を経験しません。逆に、身体が動かず、エネルギーが渇いたままに知識を与えられても、それは、拒否的な体験にしかならないでしょう。


 「勉強嫌い」を、こどもはそういうものだと前提において、だから、就学前に教科学習を始める、というのは、よけいに、こどもたちを「勉強嫌い」にしてしまうだけです。


 自分の経験で恐縮ですが、私は、ひとから教わることを素直に受け入れられないところがありますので、義務教育を終えて後、所属した教育機関においてではなく、自分で英語と、あといくつかの外国語を学習しました。今も、とぼとぼですが、同じように、新たに言語を勉強しています。

 これらは、いずれも、その言語が話されている文化に触れたときに感じた、「わくわく」する経験、もっとそれらを知りたい、と、身体が「うずうず」した経験があったからです。

 以前に覚えた言語については、その言葉をもって、小説や絵画を表した作家が好きで、「そのひとをもっと知りたい」と思ったからでした。

 数学も同じで、研究職に就いていたとき、あるものごとのなかに存在する関係を明らかにしたい、それを解き明かすために、数学のある領域の概念が必要だったので、会得しておく範囲の知識を覚えたことがあります。


 さっきから、「文化」という言葉を使っています。これには定義がいくつもありますが、私は、文化とは余剰、というとらえかたをしています。まあ、なくても生きていけるもの。でも、それがあることで、人間を人間として輝かすことができるもの。

 文化とは、人間の創造、いや、むしろ、人間が人間として創造された存在のありようを、歴史的、地理的に表現したもの。こんなふうにとらえてもいいかな。


 私は、詳しくはまだよくわかっていませんが、Friedrich Fröbelが考えた「教育」は、「わくわく」「うずうず」と身体的に動機づけられた好奇心でもって、この世界の真理を、つかみたい欲望の実現なのかな、とも思います。

 Kindergartenは、それが実現できる場、世界にあるいくつもの真理が全て集まっている「庭」なのかとも。

 そして、Garbenは、その真理のありようを明らかにするための概念ではなかろうかと。


 人間に与えられた、この自然。ひとりの人間に与えられた、ほかのひと。それらすべてを包む宇宙の広がり。

 もちろん、命も与えられたもの。


 就学前に、就学後のために、あえていうと、「成績」という飼いならされた従順さを表す序列へ導くために、ひらがなが書けるように、英語が身近になるように、こどもを説き伏せても、命あってこそ自分に開かれる真理の尊さへの慈しみをこどもに話すことはできない。

 それに、こどもがどれだけ「成績」を挙げることができたかによって、おとなも飼いならされるなら、その行き着く先は、自らの滅びかとも。


 そういや、「庭しんぶん」2024年5月号の特集は、フリードリッヒ・フレーベルです。

 はい、では、宣伝をして、おしまい。


 では、また。

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