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著 作

これまでに執筆した、保育の領域に関する著書や雑誌を

ご紹介させていただきます

保育現場で悩む「おとな」への理解と対応
         
対応に苦慮する「保護者」、関わりにとまどう「同僚」

2024, 郁洋舎
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​ 2021年に郁洋舎さんが出版をしてくださいました、「発達障害のこどもを行き詰らせない保育実践 すべてのこどもに通じる理解と対応」の続編とし、本書を書かせていただきました。
 「対応に苦慮する保護者」。最も対応に苦慮するのは誰か。いうまでもなく、その保護者自身です。
 「関わりにとまどう同僚」。最も関わりにとまどうのは誰。いうまでもなく、その同僚です。
 もって生まれた感受性と注意力によって、人生の中で、自分を、ひとを、ものごとを、どのように、感じれば、考えれば、行動すれば、よいのか。
 そのそれぞれに苦慮し、自分にとまどう経験が繰り返された。
 そのことで、肯定的に自分を思うことができない、そこで、開き直った態度をとる。また、他者からおびやかされるように感じる、そこで、自分を守ろうと、他者を圧する。
 自分では思いもしなかった感情、考え、そして、行動が、知らず知らずに習慣となった。
 本書が対象としたのは、このような姿の、保護者と同僚の方です。
 そして、ここに表されるひとの言葉やふるまいは、もしかしたら、自分にも、あるかもしれません。
 対応に苦慮することが、関わりにとまどうことが、すぐにひとを責める行いとならないように。そのことで、保育者も、保護者も、同僚も、守られるように。
 このような考えと願いをもって、本書では、保育者が、どのように臨めばよいのか悩む、保護者と同僚を理解する視点と対応する手立てを、具体的に提案しました。
 あわせて、実際に役立つ、こどもへの対応に関する保護者との相談方法、相談機関へ案内する段取り、就学先への申し送り、についても事例を挙げました。
 そして、0歳児から5歳児にかけて、保育者がこどもに携わる根底にあるものは何かについても、お話しました。
 保育者の方が、尊い役割に希望をもって、日々励んでいただけることを、切に願っています。
 是非、お読みください。

発達障害のこどもを行き詰らせない保育実践

​            すべてのこどもに通じる理解と対応

2021, 郁洋舎
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​ 2021年に、郁洋舎さんが出版をしてくださいました。

 発達障害のこどもは、例えば、一対一で話をするとしても、相手の言うことを聞きながら、その意味を考えながら、そのときの自分の感情をくみとりながら、言いたいことを整理しながら、文にしながら、相手に伝わるように話す、など、同時にいくつかのことを行って段取りを立てることがうまくできないようです。そうすると、落ち着いて相手と対応することができませんので、いらいらする、話を聞かない、一方的といった表現にもなります。

 このとき、「なぜ、ひとの話を聞かない」「なぜ、相手のことを考えない」と、言われても、「なぜか言えるぐらいなら、話も聞くし、いらいらしない」、これが、こどもの気持ちではないでしょうか。

 そして、この「気持ちをひろってくれるおとな」と出会えないと、誰も自分をわかってくれない、責められてばかり、と、自分を、他者を、責める行動が習慣ともなるでしょう。

 いくら子育てはやり直せる、自分の人生も変えようと思えば変えられる、などといっても、それを支えてくれるひとがいる、という安心感がないと、生きてはいけません。

 保育者は、こどもにとって、まだ始まったばかり人生に、「気持ちをひろってくれるおとな」がいることを伝えるひとだと思います。

 保育者が穏やかに保育をすることができるよう、こどもの行動の理解と対応を具体的にお話し、こどもが愛着を育む手立てを記しました。

 保育者に向けての本ではありますが、「保育者」を「親」ととらえ、子育てを考えてもらうこともできます。

​ また、この本で書かれたことは、発達障害のこどもだけではなく、どのこどもにも役立ちます。

​ ぜひ、お読みください。

げ・ん・き

​ こどもへの対応に困ったときに読む

エイデル研究所
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​ 2019年5月発行の第172号から、執筆を始めさせていただきました。その当時の予定では、2年間ほどの連載で終了するはずでしたが、編集のご厚意で続けさせていただいております。

 「幸せ」って、とても簡単な言葉で、でも、大切な言葉で、でも、「幸せ」と尋ねられたら、なかなか「うん」と言えない。

 自分の気持ちの状態、身体の健康に、暮らしぶり、生活に必要なものや財産、それらを考えても、今の私は「幸せ」なのか、そうそう「うん」と言えない。

 誰かに、今の自分を「幸せ」と思うことが大切だよ、と、示されたとしても、また、ひとと比べずに、自分を「幸せ」と思って生きることが大事なんだ、と、諭されても、よし、私は「幸せ」って、そう自分に言い聞かすことはできない、そう私は思います。

 なんだけど、このひとがいてくれると「幸せ」、こちらはどうでしょうか。

 このひとと一緒にいると「幸せ」、あのひとはもういないけど、あのときに、一緒に過ごしたことは「幸せ」な思い出。

 このひとが一緒にいてくれるから、このひとが近くで支えてくれるから、あのひとがそう教えてくれたから、だから、私は生きていく。私が生きているだけで喜んでくれるひとがいるから。きっと、それでいい、と、もし、いてくれたら、そう言ってくれるだろうから、私は、私が生きていていいんだと思う。

​ また、あのひとに会いたい、きっと、会える、そう願うから、私は生きる。

 「幸せ」って、ひとが与えてくれて、あなた「幸せ」って、言われて、えっ、そうなの、って、思えたら、自分は「幸せ」って、思っていいのかも。

 そして、身近なひとが自分は「幸せ」って、思ってくれると、私も「幸せ」。

 こどもが、保護者が、同僚が、あなたがいてくれると「幸せ」、なら、私も「幸せ」。そうともに生きることができる保育を、と、願って、まだまだ連載を続ける気持ちでいます。

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