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こどものとも社主催 オンライン園内研修
発達障害のこどもに対する保育の考え方と取り組み方 (2回研修)
①2022年6月18日(土)講義編
②2022年7月16日(土)質問編
ありがとうございました。私のお話は、終了いたしました。
多くの方がご参加くださったと、こどものとも社さんよりお聞きしました。ありがとうございました。
質問編にあたっては、多くの質問を寄せてくださり、ありがとうございました。いただいたものにゆっくりとお話をさせていただくことが本来だとは思いましたが、限られた時間でありましたのと、いただきました量がとても多かったので、整理して項目立てでお答えさせていただきました。新たな気づきもいただき、感謝しております。
今のところ、これ以降、私は、全国を対象にした研修は、いただいておりません。各地域の研修で、お会いすると思います。どうぞよろしくお願いします。
エイデル研究所 げ・ん・き No.195 2023年1月発行
こどもへの対応に困ったときに読む
連載第24回:こどもの困り感に気づくマップ 「身体を通したひととの関係の問題」⑪
今回、「見立てる」について、保育者が絵本をどのように読むか、を、具体的にお話ししました。
例として、①松谷みよ子と瀬川康男(敬称略、以下同じ)による「いないいないばあ」(童心社)、②松谷みよ子と東光寺啓による「おさじさん」(童心社)、そして、③中川李枝子と大村百合子による「ぐりとぐら」(福音館書店)、を挙げさせていただきました。あわせて、それらの物語と対比して、「図鑑」についても考えてみました。
さて、「見立てる遊び」には、家事や育児をテーマとした「ごっこの遊び」「お世話の遊び」などが含まれるでしょう。
私は、遊びの性格のひとつとして、「失敗が許されるなかで、実際の社会で行われている役割を経験できる」ということを挙げるようにしています。
「失敗が許される」とは、社会的および経済的な責任から解放されることによって、幾度も、自分が他者に及ぼす影響に気づき、そこにおいて、ひとに対する対応や、ものに対する処理を行うという、「問題が生じたときの解決の方法を学ぶことができる」こと、といえましょう。
ひとは、生まれたときには「こども」という役割を与えられ、その後、きょうだい、ともだち、係、班長、委員、リーダー、先輩後輩、パートナー、親、様々な職業の担い手、などといった、たくさんの役割を受け持ち、それらの役割を次の世代に手渡して一生を終えます。
このように考えると、「見立てる遊び」は、ひとが生涯に経験する役割の一部について、自分がどのように他者と交流するか、そこで必要となる、様々な技能を繰り返し学ぶ経験をもたらすといえます。つまり、「見立てる遊び」で、こどもは、何を見立てているか、というと、保育の場から巣立った後、自分は、どのように社会に参加するのか、自分の将来を見立てているのです。
そうすると、人形のお世話を通して、こどもは、将来、こどもを育てる者としての自分の姿(兄や姉など年長者、養育者、保育者、教師など)を学んでいる、と言うことができます。
ならば、人形はひとです。ひととして名前を持ち、ひととして交流を与えられなければなりません。また、こどもにとって、人形は自分です。自分だからこそ、このように関わられたい、と人形を自分に置き換えてお世話をするのです。人形のお世話は、こどもにとっては、自分がどう育てられているか、どう育てられたいか、を表現する遊びといっても過言ではないでしょう。
自分を人形に置き換えることで、人形に共感を寄せ、代弁をする。共感と代弁は、自らの身体的経験を通して、他者を知ろうとする行為ですから、現実的な役割の学びをもたらします。
ならば、「見立てる遊び」は、積極的に保育者が行うべきものです。このとき、人形はこどもです。「私はあなたをこのように育てている。あなたも、このように、ひとを慈しむひとになってほしい」、この願いをこどもに託しているのが、保育者にとって「見立てる遊び」を保育で提供する意義のひとつでしょう。
そう考えると、「見立てる遊び」は、保育者自身が、日々、どのような考え、感覚、感情を持って、こどもに相対しているか、が、試されます。おざなりに「遊ばせる」ならば、それは、そのような思いしかこどもに与えていない、ことになります。
持続可能な社会といいます。当たり前ですが、社会はひととひととで成り立っています。けれども、自分が成り立つとともに、他者も成り立つ、こういった、共同体としての社会は、当たり前にはやってきません。
自分と同じようにこどもを大事にできるおとなでありたい。
ぜひ、読んで、保育に役立ててください。
