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  • 執筆者の写真Hiroyuki Notoh

さらに全くもって、「根拠のない考えをひとつ」・改訂

更新日:2022年11月20日

 11月16日に公開いたしましたブログですが、文のレイアウトがもひとつに感じますのと、ちょっと、加えたいところがありましたので、内容そのままに、改訂版を掲載いたします。     


こんにちは。

 さて、こちらのホームページをご覧いただき、ありがとうございます。

 それで、私、やったことがない、すぐにできそうでない、難しそうな気がする、説明書を読まないといけない、だいたい、こういうことは避けます。まあ、面倒なことに自分で取り組むことには、不向きなひと、ということです。

 なので、このホームページを作るにあたり、まず、作ろうという気になるまでずいぶん、作り方を調べるも、できないよね、の理由を探す、次に、誰かやってくれないかと、ひとを探す、こんなことをしていて、いつもお世話になっている友だちに尋ねたところ、助け船を出してくれて、これだったら、あなたひとりでできるんちゃいますか、とのことで、Wix.comさんを選んで始めたわけです。

 その運営会社さんの、なんというんですか、私の登録情報が載っているようなところに、「会員登録リクエストを送信しました」として、いただいた方からの通知が来るのですが、んで、どうしたらいいか、「?」、なので、そのままにしております。

 感謝して、通知は確認させていただき、ご覧いただいた方の数も増えてきて、ありがたく思っておりますので、なんも応対がない、とは思わず、どうかご容赦願います。


 前回に引き続き、さらに全くもって、また「根拠のない考えをひとつ」。

 

 母親がこどもを授かり、どのように、いくにち、自分の身体にその新しい命を宿そうと、こどもは母親の身体の中で育つのですから、こどもと母親は一心同体だと思います。

 なので、母親が疲れを感じたら、こどもも同じでしょうし、母親が気持ち明るくいると、こどももそういう身体の状態、ではありましょう。

 それで、どのように、この世に生まれてこようと、生むと生まれるは、ともに行います。

 こんなふうに考えると、こどもは、世界に接する前から母親と接している、それは母親も同じ、と考えられましょう。

 対して、父親は、そうではないように思います。

 こどもが生まれてきて、初めて接しますし、こどもも同じです。


 この点で、私は、こどもにとって、母親と父親をわけると、母親の方が父親よりも自分に近いと感じるのではないか、と、思うわけです。


 それで、以降、大きくなっていく過程でも、なんかあれば母親、母親がどういうか、どう思うか、どうしてくれるか、が、自分の軸、というか、自分のものの考え方や行いの基準、みたいな存在になるんじゃないか、と考えるのです。


 なので、父親よりも母親って、こどもにとっては大切なんだな、とも思うわけです。


 母親がこどもをどう育てるかがあって、父親がそれにどう沿うかが、大事なように思うんですね。私は、ときに、父親はオプションみたいなもの、と言うことがあります。なので、子育てにおいて、母親がどう育てたいかを中心に、それを助け、考えをともにし、相談し、という態度をとるのが父親のように思っています。これは母親と父親がいる、ということを前提としています。

 母親、もしくは、父親だけで育てているとしたら、母親は父親の代わりにはなれないし、なる必要はないし、父親は母親の代わりにはなれないし、なる必要はない、自分が担うべき役割を果たすのみだと思ってもいます。


 母性や父性、というのも、私は考えることはほとんどありません。母性や父性ってのは、母親、父親に押しつけるように感じますし、社会の組織や経済の仕組みのあり方によって、都合よく、当然、最初から持っているよね、当然、これから育むんだよね、など、なんか、こどもをおとなのいいように振りまわす考え方になるようにも感じます。


 こんなことを発言すると、当然、大きな言葉だと、「今の時代」にそぐわないどころか、逆行する誤った考え、とも言われましょうが、私はそうは思えないのです。


 うろおぼえがふたつあります。


 ひとつは、今からおおよそ30年ほど前になるかとも思いますが、母親がこどもを生み、そして、育てる過程で母性が育まれる、という研究、生理学のホルモン分野、だったように思いますが、そういった報告がいくつか新しい知見として出されました。それまで考えられていた、母性は母体に備わっている、という前提が覆された、ということだったと記憶しています。しかし、それからまた数年して、やはり、母性は女性がもっているもの、と説明も読んだ記憶があります。

 母性をどう定義するかですし、ホルモンのはたらきだけではなく、神経系も含めた検討、心理学的な知見、など、総合的にとらえる必要はありますでしょう。

 けれど、それらの報告が、私の勝手な結びつけ方かとも思うのですが、男女共同参画や、虐待の増加、など、社会の状況から、強調されたり、一般化されて扱われたり、といった、バイアスを受けて、ひとり歩きした、する、ようなこともあるんじゃないか、と、考えるんですね。

 もうひとつは、育児雑誌、これももう20年以上前ですが、仕事用のスーツに身を包み、サイドテーブルでパソコンを開いた女性の横で、すやすやと眠る赤ちゃん、寝ているのは、電動で揺する装置がついたラック。この商品の宣伝でした。

 どうなんでしょう。今だと、このような広告は、どう受けとめられるのか、と思います。


 科学的といわれる知見も、研究が展開していくにつれて、結論が変わることはあります。それに、いくら科学が進歩したとしても、だから、どうすればいいか、現象の理由から次、確かな方法を導き出すまで、途方もない時間がかかるでしょう。

 メディアがいつも公平で平等な情報を提供すると、私は信じていません。


 さまざまな情報に触れる、母親と言われる私が、父親と言われる私が、どうこのこどもを育てるのか、ということ、そして、その育て方が、この子、この私、この家庭、この地域、この社会、この時代、という、枠組みの中で、どのようなものであるのか、親がこの世界の状況と接点をもって、情報を吟味し、自分がこどもをどのように育てるか、自らの行いを、選択し、決断し、更新していく。

 このような行動を大事にする方が、親もこどもも、自分の気持ちで生きていけるのかと、私は思います。


 また、私のこれらに関する考え方も変わってはいくのだと思いますが、自分に対しているこどもを、私はどう育てるか、希望をもって考えることができる世間であってほしいと願います。


 さて、このような私の根拠のない考えを強くもって書いたものをひとつご紹介します。


 これは、もう20年以上前に女学生だった方に、ついこの間、送った手紙です。

 長年、夫の不倫や借金、離婚を考えるも自分の身内から反対されて、20代から40代を、これらに耐えて過ごしてきました。


こんにち

 娘さんは、もう高校生になったんですね。いろいろと思うときでしょうが、人生の中でも、なかなか楽しいときでもありますし、良いときを過ごしてほしいですね。

 ひとり親になり、心細い時期が長かったでしょうが、娘さん、そろそろ、話し相手になってくれるんじゃないですか。娘さんがいてくれて、よかったですね。

 息子さん、まだ小学生ですか。男の子はいつまでも幼いですよ。かわいがっていればいいんですよ。母親が、よしよしいい子いい子、で、育てないと、男の子はしっかりしません。甘やかしたからだめになった、というのは、母親が自分の意見を押しつけて育てたからであって、この子はどうしてほしいんだろう、どうしてやればいいだろう、と、母親が自分の身をこどもに置き換え、それで、できるだけ、あれこれと、手を焼いていろいろとしてやれば、母親の姿を見て、自分を愛してくれていると信じて、育ちますよ。

 だいたい、あなたは母親になる前、結婚する前、学生の時分から、ひとにほめてもらっても、自分はそんなことない、と、謙虚どころか、本気で、自分はそんなことはない、と、思うところがあります。そういう自分の受けとり方はやめた方がいいです。自分に自信をもって、と、言うのではありません。自分なりに、頑張って、毎日、やりくりしています、けど、どうも空回りもするし、運の悪さも手伝うのか、だめなときもありますけど、でも精一杯、生きてます、と思うて、働いて、家事をしてる方が、娘さんと息子さんの、励みになります。思い通りにはいかないけれど、今の自分が置かれたところで、とりあえず、頑張る。お母さんは必死なんや、できないこともあるし、要領悪いところもある。けど、やることやって生きて行かないとあかんやん、ひとを羨んでもしょうがいないでしょ、と、自分なりの生き方を、こどもたちに見せればいいんです。きれいな生き方はありませんよ。

 それと、自分がこどもを育てている、なんて思わず、自分はこどもに育ててもらってるんだと思うてください。

 それに、人間、生きていて、不要なことは起こらないです。必要なことが必要なだけ起こり、結果、そこで身に着けたことが、自分の生きる力となる。そしてまた、自分の周りのひとたちに、それが役に立ちます。

 苦労や、と思うことが、ひとのためになり、そうして、助けてくれるひとが集まって来てくれます。

 それに、あなた自身、いろんなものを背負ってきているでしょう。

自分が選んだ結果、そうなってしまったこともあれば、親やきょうだい、別れた元夫、自分で選べないところから渡されたものもあります。そういったものは、ちゃんと自分の代で終わらせ、こどもに受け継がせないことです。

 娘さんを見て、いいなあ、うらやましいなあ、自分はこんなことをさせてはもらえなかったし、できなかった、と、思うことを娘さんにさせてあげることです。娘さんのこの姿が、あなたにとって、励みともなります。そして、それ以上に、自分が苦労と感じること、自分は、どうして、こんな人生を生きなくてはならなかったんだろう、と思うこと、そういったものを、全部、洗い流してくれるはずです。

 娘さんが娘さんの時期を、娘さんの希望に沿って過ごさせてあげる。そうすると、娘さんを通して、あなたが、息子さんを感じる気持ちも変わります。母親としてだけではなく、女として、息子さんに、言いたいことは言う、それができるようになると、息子さんもしっかりしますし、そういう息子さんになってもらえると、苦労した甲斐があったというものです。

 こういう子育てをすると、あなたが、背負っているものを、あなた自身で降ろせて、んでちゃんと、こどもはこどもとしての人生を生きることができるようになるのです。

 こどもたちがそうなって、ようやく、あなたの人生がまた始まるのです。

 出会った頃は、あなたはまだ幼かったのにね。

 そういや、前に言いましたけど、あなた、月経のときとんでもなく眠い、って言うし、そのあとは、すぐに、気持ちが、後ろ向きになるって言うし、ちゃんと婦人科に行きましたか。月経前症候群、ってあるよ、と、私が言うたの覚えてますか。年から言うと、あなたもそろそろ更年期だろうし、ちゃんと訪ねて、身体にはくれぐれも気をつけてくださいね。では、また。


 ということで、根拠のないシリーズはもちょい続きます。では、また。


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