自己肯定感というところ
こんにちは。
私にとって、<自己肯定感>という概念は身近ではく、このことに関する研究を網羅的に理解してはいません。
なのですが、先日、幼児期のこどもを育てていらっしゃるお母さんから、以下のご質問をいただきました。
「私は、こどもを叱ってばかりで反省しています。『早く寝なさい』『いつまで遊んるの、お風呂に入るから片づけなさい』など、私がこどもに言うことは、こどもを否定するようなことばかりです。この前、ネットで育児のサイトを見てたら、自己肯定感が大切って記事があって、それを読んだら、落ち込みました。こどもを叱ってばかりだと、自己肯定感が低くなって自信のないおとなになる、そうすると自己肯定感を取り戻すのは難しい。もうすでに私のこどもは自己肯定感がズタボロになっているかも。どうしたらいいでしょうか?」
私がお答えしたのは、このようなことです。
お母さんは、今日、この集まりが始まる少し前にいらっしゃいましたね。おそらく、遅刻しないようにと考えて、あれこれ準備して、ここに来ていただいたのだと思います。
お母さんは、いつ頃から、遅刻はよくないと思うようになったのでしょうね。お子さんを授かってから、いえ、仕事を始めてから、もっと前、学校に入ってから、いつでしょうね。
多分、もっと小さいとき、赤ちゃんの頃だと思いますよ。
お母さんが赤ちゃんのとき、沐浴してもらったり、ごはんを食べさせてもらったり、寝かせてもらったり。
この頃、お母さんの親は、『そろそろ3回食にして、夜はこの時間に食べるようにしよう』『今までお昼に沐浴していたけれど、もう夜にお風呂に入れて、寝かせるようにしよう』。ひょっとしたら、『私はもう育休が終わって仕事に戻るし、この子を保育園に預けるから、その時間にこの子が慣れるようにしないと』。
このようなことを考えて、この時間に起きる、この時間に食べる、この時間に寝る、と、24時間に沿った生活を身に着けるよう、お母さんはこどものとき、教えられたのではないでしょうか。
ここから、<この時間>という考え方が自分の生活に入ってきて、『この時間に家を出て登校しないと』『この時間には寝ないと朝起きられないし』といった考えが生まれてきて、それで、今日も、遅刻しないように、ここに来てくださったと思います。
お母さんが身に着けてこられた<この時間>を自分で守ることができていると、『自分は頑張っているなあ』と思えますでしょうし、もし、できていないと、『自分はさぼっているなあ、よくないけど、まあ』と省みますでしょう。
お母さんにとって、<この時間>がひとつの基準で、ここをクリアできていると、自分はよい感じ。そうでないと、だめだなあ、というところ。
基準があるから、自分の頑張りを認めることもできるし、自分を励ますこともできる。
自己肯定感は、この基準があって、育まれるように思いますよ。
お母さんが、お子さんに、今、伝えているのは、この基準作りです。
確かに、ものの言い方はありますが、『叱ってばかり』と落ち込まず、『この子がおとなになって、ひとりで生活をしたときに、自分を大切に生きていくことができるように、私は、自分を律する基準を教えているんだ、教えていくんだ』と考えて、どうぞ、繰り返し話してあげてください。
私は、主体性という言葉、こども中心という考え、この自己肯定感という概念、いずれも大切で、価値あるものと思います。しかし、『主体性を伸ばすために、こどもの言うこと、行うことを、そのまま認めよう』『こどもがやりたいことを受け入れて、それをおとなは、支えよう』『どんなことでも肯定的に受け入れよう』という、おとなの考えと行いが、行き過ぎれば、それは、放任ともなって、学びのない時間だけが過ぎる生き方をこどもが習慣とする、選択肢のない人生をたどる道に迷わしてしまうと思います。
叱る、怒る、言って聞かす、など、言葉は様々ですが、表現だけで、養育者である自分の行いを考えるのではなく、自らをこどもとして想像することが大切ではないでしょうか。
<不適切>というのも、これが、あれが、ではないでしょう。「自分がされて嫌なことはしない。言われて嫌なことは言わない」。私はこれに尽きると思います。
<ふわふわ・ちくちく>も、これは、あれは、ではないでしょう。
おとなが優しい言葉に安住するだけでは、それは、将来、こどもから希望を奪ってしまうことになるかもしれません。
ご質問くださったお母さん、ありがとうございました。
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