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「もじゃもじゃ」の続き

  • 執筆者の写真: Hiroyuki Notoh
    Hiroyuki Notoh
  • 11月6日
  • 読了時間: 4分

 こんにちは。ずいぶん冷えてきました。さきほど、山並みの美しい地域を通りましたら、銀杏の葉が秋晴れのもとで輝いておりました。


 さて、「からかう」「ちゃかす」という行いがあります。これらを被ると、よい気持ちにはならないどころか、怒りがこみあげてもきます。


 「からかう」や「ちゃかす」がどういう意味かを知るには、辞書を引くか、まあ、ネット検索した方が早いのでしょうが、ここは、私なりに考えてみたいと思います。


 からかったり、ちゃかしたり、そうしたくなる気持ちはどういうものでしょうね。


 あるひとの行いや発言に接したとき、それらが自分の何らかの基準の範囲から、逸脱していると思い、それは受け入れることができない、と判断し、自分とは相いれないことから、遠ざける、切り離す、といった感情を覚えたとき、「からかう」「ちゃかす」といった言動が発する。


 このように考えてみました。


 この、「何らかの基準の範囲」の「何らかの基準」に大きく含まれる要素は、「価値観」ととらえられるものではないか、と思います。

 価値観は、善悪、美醜、快不快などを判断する基準ともいえます。これは、自分が生まれ育つ中で、養育や教育を行うひとたちから教わって、それを自分なりに検討し、ある集団に自分が所属するうえで、その集団内で規範とされる基準を遵守することで、脅かされないであろう関係に自分を置くものともいえるでしょう。


 ここから、からかいたくなる、ちゃかしたくなる対象は、自分が保持している価値観にはそぐわない、それは、正しくないので、間違っているがゆえに、蔑むべきものだ、と、判断されたと考えることができます。


 端的に言いますと「自分は正しい。しかし、あのひとは間違っている。なので、何らかの基準からみて、自分よりも、あのひとは低い。だから、対等に関わるひとではない」

 こういったところで、ひとを見下す態度が「からかう」「ちゃかす」といわれるものかと思いますし、ひとからこのようなふるまいを受けると、腹立たしい気持ちになるわけです。


 このような行いに欠けているものがあります。それは、「このひとは、なぜ、あのように行動をしたのだろう、言ったのだろう」という、その言動の理由を追い求める好奇心です。

 「なぜかを知りたい」。


 なぜ、のとうさんは、髪の毛がもじゃもじゃなんだろう。

 どうしたら、髪の毛はもじゃもじゃになるのだろう。


 このような疑問を持って、その理由を探ると、のとうさんの美しさの基準、のとうさんのものごとの考え方、のとうさんの興味、のとうさんが他者と関係する手立てなど、もっと、いろんなことがわかる可能性が開かれるのです。


 そうすると、自分の中に今までなかった知識を得ることができ、そこから新たな価値観が創造されもします。


 ひとをからかったり、ちゃかしたり、これは、とんでもない損なのです。

 ということは、結果、「ひとを」が、「自分を」になっちゃうよ、ということです。


 ここでいきなりですが、夏目漱石は、英文学を学び、そこから、文学とは何かについて、単に先達に追随し、そこに安住するのではなく、自分なりの思想を構築すべく、そのことを生きがいのひとつとすることに安息を得たのかとも、私は考えますし、このような態度が、漱石のいう、個性、であろうかと思います。

 「私の個人主義」という講演を読みますと、自分の個性を仕上げていくためには、他者の個性を尊重しなければならないこと、自分の権利を行使するためには、そこに付随している義務を全うしなければならないことが述べられています。


 さて、どうでしょう。今、この国をみて、世界をみて。

 他者の個性を認めているでしょうか。

 自分の義務を認めているでしょうか。

 私は、そうは思えません。自分の個性を、自分の権利を、が追求されているようですが、その結果、自身の成長を止め、権利が摩耗する方向へ自分で自分を引きずっているような、それが、個人の範囲に留まらず、集団化しているのではないかとも思います。


 集団化ですから、次に生じるのは、その集団に安心して所属するために、よりこのような道程を自分に加速する、という事態でしょう。


 「からかう」「ちゃかす」を、価値観の基準としない自分でありたい。

 こう考える集団が国家というレベルにあってほしいと願います。


 では、また。


 夏目漱石: 私の個人主義. 私の個人主義, 講談社学術文庫, 1978.

 
 
 

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